2012年5月1日火曜日

『*[エロゲ]』の検索結果 - アセティック・シルバー


「*[エロゲ]」の検索結果を表示しています

2009-09-26 21:21

やる夫(風)マブラヴオルタ概要

 

序盤:

よく分からないけどチートできるようになったおwwwこれで楽勝だおwww

 

中盤1:

チートしてもこの世界は救えないお!(キリッ(←なんだかんだで上手くいっているから、所詮わかったつもり)。

 

中盤2:

ま、まりもちゃんが……おっおっ。ほんとにチートしても救えないなんて、この世界はほんと酷いクソゲーだお……。もともといた世界だったら、こんなことは無かったお! この難易度はチートしてもクリアできないって分かったから、難易度なんて下げてしまうおっ! こんなクソゲーとはおさらばだお!

 

中盤3:

難易度下げたら周囲の人にウイルス感染とかどんな仕様だお……。なにやっても迷惑しかかけられないとか、どうしようもないお……。もう死ぬしかないお……。

 

中盤4:

えっ、あのクソゲーをクリアすれば、こっちのゲームのプレイヤー達のウイルスが消去される仕組みなんだお!? わ、わかったお、クリアすればいいんだお! しょうがないから嫌だけどあのゲームにもどるお……(涙)。プレイ放棄してみんなに迷惑かけるより、がんばってあのクソゲークリアするほうがまだマシだお……。純夏ごめんだお……。

 

終盤1:

み、みんな死んでいくお……。だけどみんな死ぬこと覚悟してこのゲームをやってるお……。なんで死ぬってわかっててこのゲームができるんだお!? え、衛士の流儀ってなんだお? 「ほかのプレイヤーがどんなプレーをしていたか、ちゃんと語り継ぐこと」? みんなの記憶に残るとわかっているから、みんなほぼ間違いなく死ぬとわかっててもゲームができるんだお……なるほどだお……。

 

終盤2:

みんなの助けを借りて、なんとかゲームクリアできたお! ……と思いきや『第一章完』とかwwwwwまじかおwwwwww でも、ぼくのおかげだってみんな言ってくれるお。ぼくがいなかったらミッションクリアできなかったって言ってくれてるお。

だけど、ぼくはチートを使ったんだお……。みんなを助けられたことは嬉しいけど、ズルしてしまったのは良くないお。ごめんお。もとのゲームに帰るお。でもみんなのことは、あっちのゲームでも語り継ぐお! 記憶がなくなっても絶対に忘れないお!

 

エンディング:

何があったのか、記憶にないお……。でも、なんだか涙がとまらないお。何かが心のなかに残っているお……。それはきっと大切なものだお! そうに違いないお!

 

 

※最終的に「何があったのか、記憶にないお……」と言えてしまうのがマブラヴオルタの悲しいところでもありますわな。ちなみにAA使おうかと思ったんですが、表示が崩れるのがやめました。まあそれが主眼じゃないし。

2009-03-01 21:59

『俺たちに翼はない』――"真面目に不真面目"な力作

 

というわけで、プレイが終了しました。面白かったです。

 

……さて、この物語の一番の魅力は何か。

 

 

そう問われれば、"気合いの入りまくったテキスト""異常に作り込みまくった設定"とぼくは答えます。

 

この話はとにかく、細部までこだわりぬいて作られている。

 

本編はおろか各章の、間奏部でさえもいちいち真剣にブッ飛んだテキストを魅せてくれるし、グレタガルドは中二設定全開だし、言葉ひとつとっても細かい所へこだわりまくり。そしていわんやキャラクター造形をや。柳原フレイムバーズのアホども(失礼)はじめ、針生蔵人やら、鳳翔やら、DQN全開の高内やら、名前聞くだけで笑いがこみ上げてくる軽部狩男やら、とにかくサブキャラの作り込みようがはんぱじゃない。軽部がとんでもないことやってたっていう過去がちょろっと出てきたり、翔と鳴の両親だったり、米田さんが昔はレイヤーだったとか、はっきり言ってムダとしか思えないような過去があふれかえっている。そこらへんの作品に対する熱量はほんとすごい! ちょちょちょ王雀孫マジパネェっすよちょりーっ� ��、って感じですね。

 

たとえばボケツッコミひとつとってもそう。どれも丁寧に「笑わそう笑わそう笑ってくださいお願いしますたのむから笑ってください笑ってくれないと商売あがったりなわけでほんと笑えやコラてめぶっ殺すぞコノヤロウ」という気概がひしひしと伝わってくる。ところがボケだと思っていた言葉がじつは、複数の意味をもっていたりなんかもする。「ぶるっきゃおう、ぴらむに」という一見すると意味不明な言葉なんかがそうだ。ほかにも意味不明単語がいろいろ飛び出してくるのだけど、それに紛れて、これ、じつはめちゃ深い意味があったりするわけですよ。そしてまた真実を知ると、これがもうぜんぜん笑えなくなっちゃうんだよねチクショウ!(ですがあえて真剣に笑おうとする人もいるのではないだろうかと私は ふと考えました)。

 

……とにかくゞ年近くかけて練られたエネルギーがたしかにある。

だからみんな延期くらいで怒るなって、世界が平和でありますように。

 

だがもちろん文句がないわけでもない。

 

まず各キャラクターの設定が膨大すぎて消化されきっていないということ。そしてそれらをもっと物語らしく群像劇としてやって欲しかったなぁ、ということ。これらがちょっとした空腹感になってしまっているとは思う。過去……つまりキャラクターの設定をあかすだけで物語が終わってしまっているように感じます。4章以前はともかくゝ章以降はもっとキャラクター同士を絡ませてほしかった。なまじ魅力的なサブキャラクターが多いだけに期待値が高くなってしまう。

 

もちろんここ最近のエロゲのなかで、水準が頭一つ出ているとは思う。けれど、傑作と呼ぶにはもう一歩欲しかったなぁとも思ったりします(贅沢)。まあ個人的にはすごい好きで、二章の千歳鷲介ら、アレキサンダーの面々の漫才にはお腹がいたくなるくらい笑わせてもらったし、四章のカルラのぶっ飛び具合は、うおおおおすげえええ! と思いました。そしてまた、あのぶっ飛び加減を非常に理性的に組み立てていて『真面目に不真面目』なあたりに王雀孫の力量を感じます。

 

ともかくハンパじゃない"力作"だというにはちがいない。

 

だからこそ不満を言いたくもなるわけで。最後のルートをつくっている理由がいまひとつ不明確でかつ物足りないこと。パル姉さんやらメンマやら、鳴と翔との関係や父親との過去など、あまりにも語られていない部分が多すぎること。そのうえで物語のオチが非常に微妙であること。ここら辺がちょっぴり評価を下げる所以になっちゃっているのがとにかく惜しいとおもいます。テキストのおもしろみがとんでもなくズバ抜けているだけに、なんというか、"絶頂に達しそうで達しない身もだえ感"が残る作品でした(笑)。

 

まあ最後のルートはコメディとしては成功しているとおもうんですけどね。ようするに物語になっていない……物語としての目的・意味が設定されていないことが問題なんでしょう。コメディとしては「楽しい」、んだけど物語としての「おもしろみ」がない感じです。

 

……と、まあ前置きはこのぐらいにして各論に入ってみましょうか。

以下、完全にネタバレと分析なので格納しておきます。

 

 

 

  

オチの微妙さ

 


何ブライアンについてのテレビ番組

 この物語には、多重人格患者……つまり解離性同一性障害(DID)という病気を持った人間が、どのように生活していったのかというメインストリームがまずあります。その上で、最終ルートである鷹志(ヨウジ)ルートでは、自分がなぜこのような障害を持つに至ったのかが明かされる。そのオチが……まあ、想像はたやすいとは思うのですが、幼いころに母から受けた虐待だったりするわけですよね。

 

これは、ヨウジが多重人格患者になった理由を説明している、とはたしかに思うし、それなりに説得力もあると思う。だけどこれって『母親が悪い』だけで終わっているような気がするんですよね。そして、ぼくとしては……もうちょっと深く掘り下げて欲しいなあと思う。もちろん、この物語のなかで、母親が虐待を行うようになってしまった原因が描かれている。ヨウジの母が分裂病だったからという理由付けがちゃんとあるんですけど「じゃあどうして母が分裂病になったの?」という理由については答えていない。もちろん、キッカケとして、フリッキー5のヨッくんに母親が振られてしまったというのがあったのだろうとは思う。だけど、それはあくまでキッカケに過ぎなかったわけでしょうし、ほかに� �らかの原因があって分裂病になってしまったと考える方が自然ですよね。残念ながら、そこら辺に関する描写は一切なされていない。

 

これが、うーん、どうだろう? という感じなんですよね。このままだとオチとしては「ヨッくんに振られたことがキッカケで、分裂病の母親に虐待されて多重人格になっちゃいました」で終わるわけでしょう。

もちろん母親にすべての原因を帰しているわけではないと思いますが、母親が悪いと結論づけることもできてしまうんですよね。こういう物語……というか人生でもなんでも構いませんが、「誰も悪くないのに誰もが不幸になってしまっている」ということが描けているかどうかが重要なんじゃないかな、とぼくは思うわけです。たぶん実際の現実世界でもほとんど一緒で、誰かが悪いわけじゃないのに、なぜかみんなが不幸になっていくということは往々にしてありえるわけですよね。そしてそのうえで強がりでも構わないし、本当にそう思っているならばなお結構なことだが、「だけどこうやって生まれてきて良かった!!!」と叫ぶことができるほうが物語としては素晴らしいんじゃないかな、と思う。

 

たとえ家族のせいで受けた不幸であってさえちょっとしたキッカケで、考え方が大幅に転換される物語もあります。「両親のせいで不幸になっちゃった。だけどなんとか生きていける」ではなく「両親のせいで不幸になったように感じたのは事実だけど、結果としてこれでよかったんだ! 幸せだったんだ!」と大胆に転換されていく物語。たとえば津田雅美の『彼氏彼女の事情』なんかが代表例だと思うし、羅川真里茂の『しゃにむにGO』なんかもそういう物語だろう。

 

 

ちなみにぼくが過去に書いた感想はこんなんでした。

つ彼氏彼女の事情 津田雅美 恋愛における救済 - アセティック・シルバー

 

 

ぼく個人としては、そういう結論のほうが惹かれるし、誰かに問題を帰したって心がスッキリしないじゃん、と思うんですよね。とくにカレカノの「だからこそ生まれて良かった」に転換されていくドラマティックさは、ぼくにとっては非常に快感だったわけです。もちろん、そんなことがありえない、という意見もあるだろうし、少年漫画のような英雄譚じみていて、まったくリアリティを感じない人もいるでしょう。だけど、ぼくはやっぱりこういう明るい結論に向かう物語のほうが好みだなぁ。いやもちろん単なる好みですけどね。

 

繰り返してしまいますが、これほど文章のおもしろみや、とにかく作り込まれたキャラクター造形を見ていると、驚くような独特の結論であったり、ドラマのダイナミズムをどうしても期待してしまうよなぁと思います。もしくは、もうふた捻りくらいして欲しい。ぼくみたいなぽんぽろぴーんな奴でも(?)、こういう言葉を吐きたくなるような作品……そういう水準にあったということなんだと思うのですよ!(なんだその落ち)。だから、うーん、と、もにゅもにゅしちゃうんですよねぇ(笑)。

 

ようするに、単に「過去は克服しました」ではなく、「あの過去のおかげで今は幸せです」と言って欲しかったなぁと、そう思います。

 

統合ルートの必要性

 

解離性同一性障害を物語の題材として扱った比較作品として、多島斗志之の『症例A』をあげますが……。この作品のなかで印象的だったのは「いまの社会にもっとも適応することができる人格を軸にして、人格統合をする」という点でした。つまり、もともとあった、本来的な人格ではなくとも、もっとも生活しやすい人が表面にでていればいいのだ、ということ。『俺つば』でいえば、ヨウジが本来の人格にあたりますが……ヨウジではなく、たとえば成田隼人・千歳鷲介だったり、あるいは羽田タカシでも表面になる人格は構わないのだ、ということです。べつに本来のヨウジに統合することにこだわらなくともいいんです。まあ、もちろん、カルラのような破滅的な人格が表に出てくるのはまずいでしょうが� ��笑)。環境不適合な人間でさえなければ、誰が軸になって人格統合してもかまわないのだ! という結論。それが『症例A』を読んだなかでもっとも印象的でした。

 

 

まぁ、多重人格といえども、たしかにちょっと考え方を変えれば「どれも同じ、一人の人間」と捉えることもできます。この意見は「人格が複数あろうとも、基本的に一人の人間でしかない」という立場の意見なのでしょう。あるいは逆に「たとえ一人の人間であっても、個別の人格は尊重されるべきだ」という考え方もできないことはない、とも思う。

 

ただまあ、環境不適合な人格……生きづらい人格・破滅的な人格がいっしょに住んでいたら、ほかの人格はえらい迷惑をこうむっていると思う。そういう不自由さを考慮すると、もともとの人格にむりに統合する必要はなかったんじゃないだろうか。それを作品のオチとして用意する必要はなかったんじゃないか、ということです。まぁ、もちろんこれはエンターテイメント作品なわけですから、もともとの人格に統合したほうがユーザーからの反発は少なかっただろう、という推測に基づいてはいたのでしょうけどもね。ただまあ、どの人格ももともとは羽田鷹志なのだ、という説明さえ入れればむりに統合ルートを特別視して最後にプレイできるようにする必要はなかったんじゃないか? とも思う。

 

ようするに、統合ルートの存在意義が希薄ということです。

あえて最後にプレイする必要はなく、よく考えると統合ルートってほかの三人の後編のルートと物語的に等価なんですよね。あの統合ルートが特別視される必要がない。べつだん、羽田ヨウジに統合しなければならない理由はないし、そして統合したがゆえの物語がないよなぁ、と思う。統合したがゆえのコメディとしては「楽しい」です。だけど、あれをやらなくてはいけない理由がいまひとつ見いだせない。過去と向き合うことは別に統合ルートでなくともかまわないはずです。たとえば成田隼人後編でもかまわなかっただろうし、そもそも成田隼人を軸にして全人格を統合する、というのでも構わなかったとすら思う。千歳鷲介でも羽田タカシでもかまわない。それぞれの人格ごとに統合した場合の面白さ、を描いて欲しかった� ��べつに羽田ヨウジだから過去と向き合う必要があったのではなく、鷲介も隼人もタカシも、全員ヨウジなんだから彼らを軸に過去に向き合ったっていいと思うのです。

 


私は生まれ変わっての残りの部分については、この踊りを持つことができ

そしてまた、統合ルートで描かれている羽田ヨウジの話は基本的に「うまく行き過ぎ」だったりする。実際に人格統合したならば、あれほど上手くいくことはないだろうし、もっと様々な問題点にぶつかり、そしてまたなにか得るもの、あるいは失うものがあったのだろうと思う。たとえば、渡会明日香はどうだろう。彼女は"羽田タカシ"にはもう会うことはできない。5分の1には会えるとしても、もともと好きだった"タカシ"には会えない。それを意外とすんなり受け入れてしまうものか? というと必ずしもそうじゃないと思う。ほかにも、たまたまアレキサンダーで接客中にカルラが出てきたらどうなるか。コーダインにセクハラするヨウジ(笑)が出てきたならどうなるか。ぼくはあれほどすんなり行くとは思わない。

 

……などなど。そういう展開が見たかったなぁ、とも思いますし、あえて人格統合する話をやるなら、そういう話を書いて欲しかった……かもしれません(濁す)。まあようするに設定厨で終わってしまってるような気がするのです。各キャラクターたちが綾なす物語っても、見たかったかな、とかとかね。

 

 

おわりに

 

と、大体こんなところでしょうか。

 

「楽しかったか?」と聞かれれば、胸をはって「楽しかった」と答えます。

だけど「面白かったか」と聞かれると、「微妙」という(笑)。

 

とはいっても、最初にのべたように、ここ今年のエロゲのなかではかなり高い水準にあるだろうと思います。

ぼくとしてはけっこう好きな話でした。

おすすめ。

2009-02-16 18:26

プレイ進捗1『俺たちに翼はない』

 

とりあえず、2章の途中まで来ました。うーん、おもしろい。

 

以下、ネタバレにつき格納。

 

一章はあきらかに自意識あいたた系の話ですね。読んでないけど、田中ロミオの『AURA』とか、あるいはきづきあきらの作品群は比較に足りそう。一章主人公の羽田鷹志ってのが、ちょっとひねってる造形なのは良いかと。単純な引きこもりではなく、痛みを痛みを認識しない、奪われることに無頓着「であろうとする」人格として設定されている。印象的かつ、本質を言い表していたのは次の台詞だと思う。

 

僕は知っている。痛みを忘れること、痛みを痛みと認識しないこと、それがこの白い空の下で健やかに生きるための妙諦だ――机上の論理だけど。

 

これが鷹志の生き方をビシといい表してしている。痛みに凄い無自覚に生きている……ように見えるだけで、実際にはちゃんと痛みを感じているわけですよね。そこらへんが「机上の論理だけど」っていう言葉に出ている。なぜそういう人格になったのかというと、妹と一緒に叔母と叔父に育てられたときに、幼く振る舞う必要があったから……という理由付けも一応あったが、こっちは微妙に腑に落ちない感じで、もうちょっと考える必要があるか。一見いじめられているように見えて、"森里"のことを「親友」と呼ぶのも理由があって、オタクとして振る舞っていた鷹志に助けの手を差し伸べたからなんでしょうね。……まあ、結局彼も同じことやっているわけですが(笑)。それとは別に、森里自身もまた「自分が所属� ��るコミュニティを持てない」という苦しみを抱えていたから……と受け取ることもできるんだけど。ここらへんはちと語り足りてない印象は受ける。ふつう、鷹志みたいな人格を与えられると、オタクとしてのコミュニティにアイデンティティを置きたがると思うんだけど、それを森里が否定してしまったから、鷹志自身の置き場がない。で、いざ家族に頼ろうにも、妹とも上手くいかず、叔父や叔母ともうまくいかない。うーん、そりゃ現実逃避するよなぁという(笑)。小さな善意がすべて大きな悪意で返ってくる世界ってのは、しんどいね。うーん。

 

ただし、"グレタガルド"と呼ばれる世界が本当にあるのか? というと、このルート……というかぼくがココまでプレイした内容だけだとなんかイマイチ判断できかねる。いや、判断留保しすぎ?w 一応"鷹志の妄想"でオチが付いているようには見えるけど、なんかどうも決定打が欠けるような気が。明日香の「本物だ……」っていう発言も、どう受け取るべきなのかわからないしね。いやまあ十中八九妄想だとは思うが(笑)。だいたい、途中で触手攻めされてるお姫様のシーンで、描写はないけど絶対に鷹志は抜いてると思うしな!(笑)まぁ、いまの段階だと現実逃避してオワタ状態なので、あとで収拾つけてくれることを願って、というところで。つーかバッドエンドなのかしら?

 

第二章は、千歳鷲介が主人公で……。まあ王雀孫節全開ですな(笑)。楽しんでます。お腹痛いくらい笑ってます。で、結局これも一章と似たような話だなー、とか。

 

そそそ。こうね、深過ぎず浅過ぎずーぐらいが一番なんすよ、人間と人間はね。

 

結局傷つくの厭でこういう事言ってるはずだから、根っこは鷲介も鷹志も一緒だよね、と。人間難しいっすね。鷲介と鷹志は知り合いっぽいですけど、まぁ、なんかあるんでしょ。これから楽しみです。ま、今回は分析のメモ書き程度に。「AURA」も読んどくかなぁ。

2008-11-08 17:32

補足

マブラブオルタの歴史性 - アセティック・シルバー

 

この記事の補足です。

 

『歴史』を描けているか? という問題になったとき、流石に現実世界の歴史と比較したら、そりゃ劣る。だけど、それって『物語』っていう形式を選んだ時点で起こりえることですよね。物語というのは、物事を「捨象」して描いたものだから、現実の歴史の情報の豊穣さと比較すれば、そもそも劣るのは当たり前。

 

だが現実の歴史、といったところで、その情報を得るメディアって何? と考えると、実は「物語」するしかない。映像だとか活字だとかで得た情報も、所詮同じく五感を使って得るしかない。もちろん、そもそもに対する情報の豊かさという点では、物語と現実世界の歴史は比較する余地はない。だが、結局五感に頼っているっていう点で現実の歴史と物語を区別する手段はない。歴史の優位性は情報の豊かさだけ。

 

あの記事でよくなかったのは、思いの外『歴史性』という言葉が重く取られてしまった所。「現実」っていう言葉の定義が曖昧なまま(個人によって分かれるまま)使ってしまったところ。個人的には「自分の正しさを疑って、間違いだと突きつけられること=現実を見る」とかそんな感じで使っていた。「現実」=「現実世界」とは限らない。『歴史性』という意味は含んであるが、主題ではない。……とかそんな感じ。察して!(笑)←(甘え)。

 

「歴史云々言うなら、現実の歴史勉強した方が早いじゃん、しかも情報量多いし」というのは、もっともだけど、だからといって『現実世界の二次創作=物語』を否定するのはどうだろうか。いきなり現実の歴史をみても、リテラシーというか、見所が分からないと意味はわからない。情報が豊かすぎるとそれを取捨選択することができなければ、意味が生まれない。で、捨象されて描かれている「物語」の方が分かりやすいんだから、その意味で物語は肯定されるべきだと思う。歴史を勉強するための、入り口としてね。それを否定するのはトータルで見てやはりマイナスではないか。

 


サンバの曲はブラジルを行う

ここまでの前提の上で、それでオルタをあえて特別視するなら、感情移入に特化させている所(だから感情移入できなかった人間はいろいろ言いがち)。歴史的なマクロ視点だけで、一個人から見た世界を描けるか? しかも深い感情移入をともなって、というとなかなか難しい。それにプラスして、前半まで自分の正しさを疑わなかった武が、恩師の死に直面して「自分の行いの正しさ」を考えなければならないように出来ている点。感情移入だけなら他の作品もあるよ、と言うかもだが、感情移入させてから「お前の行いは本当に正しい?」と言われるのは普通ないんじゃないかな。エヴァもスポイルしちゃった問題にオルタはガチで向き合っている。

 

で、またその自意識告発の順序が丁寧。「未来を知っているからことの全能感」→「知らないことが出てきたことによる全能感の解体。ナショナリズムを持たないことの立脚点のあやふやさ」→「ナショナリズムがない故にできることの発見」→「その発見が口だけであることの告発、真実の能力を暴き立てること」→「世界からの逃避=引きこもり」→「引きこもることの苦しみ。恩師と恋人を殺した責任の追及」→「責任をとるために引きこもりをやめること」→「がんばろう」。て流れ。で、その後も、丁寧に成長を描いていると思う。その後も、引きこもりをやめたからといって、苦しみが消える訳じゃない。

 

ようは、自意識解体=自分の正しさ疑う、ってことなんだよな。んで、それを下支えするだけの感情移入の仕組みが用意されていると。

 

さらに付け加えて、オルタは『マッチョも引きこもりも肯定してない』と書いたように、「特攻」で戦死することを肯定はしてない。あ号標的を倒しても、まだ大量に居ますよって言われたら、どうしようもない気持ちになるだろうし、そもそも仲間を失っていい気持ちになるかというと、ならないのが普通。少なくとも、武はなってないように見える。ようは、あの特攻っていうのは、とんでもない皮肉なんだよね。

 

だけど、それでも前に行かないといけないのは『衛士の流儀』っていうのがあって、もらったモノを受け継ぐ義務みたいなモノがあるからですよね、という所までも描いている(ここ重要)。で、だから帰らなきゃならない武はシンドイよなぁ、でも、あれは帰らないと良くないだろうし。それはオルタ世界になんで武がいるの?って考えたら明らかになるんだろうね。

 

補足としては、こんな感じです。

2008-11-03 06:08

マブラブオルタの歴史性

とあるマイミクの日記で、オルタの事について言及されていたので、ぼくなりに意見を述べてみたい。

 

このブログを読んでいる人間ならば、ぼくが『マブラヴオルタネイティヴ』という物語にどれほど影響を受け、そしてどれだけ愛しているかはお分かり頂けると思う。これからぼくなりの「マブラヴオルタネイティヴ観」を書きたいと思うが、おつきあい頂ければ幸いである。

 

まず、このマブラヴオルタネイティヴという物語は「歴史」や「現実を写し取った物語」という側面が非常に強いとおもっている。ぼくたちが生きている世界の歴史は、悲惨な出来事の連続だ。民族浄化という虐殺だって起こるし、『硫黄島の手紙』をみたときも思ったが、日本の過去だってそういうことはある。『風雲児たち』を読んだときは、平賀源内や高野長英という男の死に様に涙を流したし、薩摩の人間達が、幕府からどれだけ苦しい目にあっていたか、そしてまた幕府側の人間もこのような悪辣な行為を是としてしまうことに苦しみを覚えていただろうと思うと、涙を流す。歴史というのは、それだけ悲惨さに満ちているとぼくは思う。

 

そして「悲惨さに満ちている」という意味において、マブラヴオルタは全く同じだと思うのだ。オルタをプレイした人間ならおわかり頂けることと思うが、例えば神宮司まりもという自分を育ててくれた教官が目の前で死んだり、あるいは、これから死に向かう伊隅みちるを見送らねばならなかったり、速瀬水月をわがままを言えば生かすことができたにも関わらず去らねばならなかったり、御剣冥夜という自分を律してくれる人間を、自らの手で撃たねばならなかったり……。オルタという物語の悲惨さは、正直枚挙に暇がない。とくに、ぼくが一番好きな冥夜の死に様というのは、本当に悲しいものだ。煌武院悠陽という姉を持ったがゆえに、影として生きることしか許されず、大義に生きることを求められる人生。そして、やっ� ��その大義から開放されたかと思えば、どうして良いか分からない。だが、それでも身近な理由を持って生きるべきなのだと思うようになり、白銀武という男が好きになって、それが一つの身近な理由にだってなっていた。だが、その身近な理由を持った瞬間に、『大義の為に死ねる状況』が訪れてしまう……。しかも、武との恋はけっして報われるものでない。鑑純夏という女性が、白銀武にはいたのだから、報われる恋ではなかった。それでも、なぜ彼女が恋をしたのかと言えば、それでも愛さずにはいられなかったからに他ならない。

 

もともと押し隠して死ぬつもりだったものが、それを死に際にもらしてしまうほどに好きだったのだから。そしてまた、それを知ったからこそ、鑑純夏は最後にがんばれた、戦えた。それは一つの小さな奇跡と呼んだってかまわないはずだ。それでも、純夏は最後に命を散らせてしまう。愛する武を前にして、生きることはできない。

 

 

だから、このうえなく悲惨なのだ、この物語は。

 

 

救いといっていいようなものは、殆ど見られないほどに苦しい物語なのだ。それでも、この物語が美しいと思うのは、これだけ残酷な世界でも、生きる希望を見失わない人たちがいるからなのだ。少なくとも、ぼくはそう思う。それは、香月夕呼という人間の生き方を見ていれば分かることだし、白銀武という主人公も、そこを認めたからこそ前に進めたのだと思うのだ。

 

香月夕呼は、絶対に前へと歩むことをやめない。

 

神宮司まりもという親友を、結果的に自分が立てた計略によって殺してしまった。これは、ほとんど「自分が殺した」と思っても仕方がないくらいの出来事。だが、それでも夕呼が歩みを止めないのは、自分が計略をたてた時点で、こういうリスクや可能性をすべてコミットした上で、行動しているからだ。だから、まりもが死ぬことも、もしかしたらあり得るだろうと考えていたに違いない。自分の基地にBETAを放つのだから、当然のことである。だが、この香月夕呼という人間のすごいところは、感情を殺さない、感情を殺すべきではないと言っているところなのだ。目の前にいる人間や、親友たちを駒扱いしてしまう。そう扱ってしまう罪にたいしての罰として「感情をなくすな」と言っているのだ。だからこそ、桜花作戦に旅立 つ人間たちを見送る際に、手元に持っているまりもの遺影を持つ意味があるのだ。

 

世界の悲惨さを、直視しろ、認識しろ、と。

 

つまり、この『マブラヴオルタネイティヴ』という物語に含まれている、もっとも大きなグランドメッセージというのは世界の悲惨さや苦しさから逃げ出すなということであり、そして、逃げない上で、未来を見据えて歩けということなのではないか。ぼくは、オルタをそう解釈した。

 

ここまで来れば、ご都合主義的に、すべてを良くする選択肢や手段を探すという事が、どれだけ虚ろなものなのか分かると思う。もし仮に、桜花作戦ラストシーン、冥夜を助けて、その上であ号標的を倒して、という展開があったとしよう。……だが、もしかしたら、より酷い世界が起こりえることを、否定できるだろうか。あそこで、仮に冥夜を助けて、その後に再び冥夜を自分の手で殺す世界がありえないと、なぜ断言できるだろうか。

 


ましてや、マブラヴオルタネイティヴは「未来に何が起こるのか分からない」という事を、物語の前半で描き出している。白銀武という人間が、すべての未来を知った上で、オルタ世界にやってきた。最初はうまく行く。しかし、やがてクーデターがおこり、彼にとって知らない未来が発生してゆく。そして、ついには神宮司まりもを死なせてしまうし、A-01部隊の人間を死なせてもしまう。マクロなレベルはともかく、むしろ武の近辺の人間は、アンリミテッド編よりもオルタのほうが悲惨なことになっていることが分かる。あれはあれで、むしろある意味で幸せな結末だとすら言えるのだ。つまり、未来に何がおこるのかなんて、誰にも分からない。もし仮にわかっていたとしても、オルタのように、かならずしも本人にとっては幸 福とは限らないことだって起こりえるのだ。

 

だが、それだけ悲惨な物語であっても、前に進むことができるのは何故なのか。それは、より幸福な未来を夢見て、自分たちに託してきた想いを、無碍にするわけにはいかないからだ。今日よりもきっとより良い未来を作りたいという願いを、それを捨てて行きたくないからだろう。

 

だから、まずは何にせよ、ぼくは「起こった出来事を受け入れる」という事が、もっとも大事な姿勢の一つなんだと思う。良いことも、悪いことも、起こった出来事は事実であって、それは変わらないのだ。そして、それを飲み込んだ上で、ぼくは前へと歩みを進めたいし、悲惨な世界があるんだったら「これから」変えていこうと思えばいいのだと思う。

 

だから、白銀武という人間が、エクストラ世界に「帰らなければならない」ということは、非常に苦しい罰なのだ。彼には、受け継いだ想いを胸にしまって歩む未来『そのものが無い』のだから。彼にとっては、この上ない苦しみなのだ。だが、かれはもともとオルタ世界の人間ではなく、そこは甘受すべきものだ。かれが如何にオルタ世界で生きたくともだ。

 

……だが、そもそも、そういう苦しみを抱えて生きていくことだって、正しいとは限らないとすら、ぼくは想う。エクストラ世界に戻った白銀武に、なぜオルタ世界の記憶が無いのか。それは、オルタ世界のような……つまり現実世界で生きるということが、どれだけ苦しいことなのか。それが、鑑純夏という人間には分かっているからラストの武には記憶がないのだ。エクストラ世界に社霞という人間を現前させることができた純夏ならば、武にオルタ世界の記憶を残したままエクストラ世界送ることだって、不可能ではなかったはずだ。そこで、武の記憶を奪って、"やさしい"エクストラ世界に送ることは、純夏が持っている優しさゆえのことだろう。

 

一度エクストラ世界に戻った白銀武が、その時にクラスメートの人間達に抱えてしまった感情。そこを抱かずに済むよう、記憶を奪ったのだ。だがここまで『マブラヴオルタネイティヴ』という物語を体験した人ならば、そういう安寧として世界で生きることが、どれだけ虚飾なものであるかは分かるはずだ。だからぼくは、武がエクストラ世界に戻ることは、ある種とっても皮肉なことだとおもう。しかし逆にいって、だからこそ素晴らしい、大切なやさしい世界でもある、という事が、明らかにもなる。

 

桜花作戦のラストシーンを見て、『割り切っちゃダメなんじゃねえの』と思う人もいるだろう。

 

だが、ただ単に嫌な世界を認めもせず、割り切ってもいないというのは、単なるワガママというやつだろう。それこそ‥X世界に逃げ帰る前の武と同じである。ぼくから言わせればオルタが描いているものは、「割り切ってはいるが、認めてはいない」ということなのだ。でなければ、夕呼の「感情をなくすな」という言葉には説明がつかないだろう。そもそもの話、割り切らざるを得ない世界が、あっていいとは言えないだろう。だから、認めてないのだ。

 

少なくとも、ぼくは香月夕呼がこの悲惨な世界を認めているとは思わない。白銀武が認めているとは思わない。だが、受け入れてはいると思う。その上で、いったいどのように生きていくのか。それが大事なのだと、マブラヴオルタは伝えているのではないか。

 

クーデター編が終わって、「クーデターした人間たちの目的に納得がいかない」「やろうとしていたことに共感できない」「そもそも訳がわからない(理解できない)」と、オルタをプレイして、こういう感想を抱いた人間も、なかにはいることと思う。だが、これこそぼくは冥夜の言葉を引用して、

 

『理解できぬものを、あしざまに断じるでない』

 

と言いたい。「共感すること」と「理解すること」というのは、たしかに別のことだ。だが、ぼくは『共感できるぐらいまで理解した上で、自分の意見はどうなのか?』ということに意味があるのだと思う。そして、ぼく個人の『美学』として、共感できるほど理解してないならばそれは「理解している」とは言わないと考えている。

 

「なぜクーデターした人間たちに納得がいってないのか」ということをまず、考えるべきなのではないか。そして、そして共感できないならばまず理解できるまで、物語につきあうべきなのだ。そもそも理解できてないのに「クーデターした人間たちの目的に納得できない」というのは、いかにも誠実でないと思う。

 

少なくとも、ぼくにはクーデターした人間たちにも「ある種の正しさ」はあると感じた。そしてまた、ウォーケンの言葉にも「ある種の正しさ」を感じる。そしてまた、彼らはたがいに、その正しさを理解した上で、話をしているのだとも思う。物事は両義的で、ある側面から見たら正しいが、別の角度から見れば正しくない……ということは往々にしてありえる。

 

だから、対話することは大事なのだと思うし、そしてまた、対話しても進まない時にどう動くのかが問われるのだと思う。もっと良い未来があっても良いはずだ、と思うのは勝手である。だが、現実がそれほど甘くないことは、歴史を紐解けば明らかだ。オルタが投げかけているのは、繰り返すようだが、それを受け入れたうえでどうするのか? ということだと思う。

 

オルタは「引きこもること」を肯定してはいない。逃げ出したエクストラ世界でも、逃げることの苦しみがある。そしてまたマッチョイズムも肯定してはいない。現実に向き合って戦った結果、武の仲間たちはほぼ全員死ぬ。死なない方がいいに決まっているではないか。それはその通りだ。冥夜が死んでいない世界は、ぼくだってちょっと見てみたいとすら思う。だが、現実に冥夜はああいう死に様を迎えたし、そこは認めるべきだ。

オルタは「引きこもり」も「マッチョイズム」も肯定していない。

 

だが「何にせよ、現実をみるべきだ」ということは肯定している。

 

オルタの素晴らしいところは、ここにあるのだと思う。

 

 

ご都合主義に逃げず、現実を描いたところこそが、この物語を評価すべきところなのではないだろうか。オルタを「逃げ」だと言う人もいるかもしれない。だがぼくはむしろ逆だと思う。すくなくともラストシーンは、真っ向から現実の悲惨さを描いている。「逃げ」と述べるならば、まずはまっこうからその理由を述べるべきだ。ぼくは非常に「真っ正面から描いた」と思う。

 

そして勘違いしないで欲しいのだが、ぼくはご都合主義の作品を認めてないわけではない。ご都合主義にはご都合主義の良さがあり、評価すべき所があるはずだ。その良さというのは、ぼくも認めている。というかむしろそういうのは、好きだ。

 

だが、言ってしまえば「それはそれ、これはこれ」なのだと思う。ご都合主義にはご都合主義の良さがあり、オルタにはオルタの良さがある。すべての物語がご都合主義にや超展開に回収されていいとは、ぼくは決して思わない。マブラヴオルタのような、悲惨だがそれゆえに素晴らしい物語があってもいいと思う。物事には、さまざまな可能性があっていいはずだ。

 

ゆえに、オルタがあってもいいのだと思う。

 


現実の悲惨さから、一時でも目を背けたい、あるいは希望を見たい、というならばその時は別の作品を見ればいい。マブラブオルタは、ある種の「歴史」や「現実」そのものを描いているとぼくは思うから、そこをこそ評価したいと思う。

 

そしてまた、その物語によって、生きづらい世界で生きていく方法を見つけ出せた人間が、ここにいるのだ。

だから、ぼくはオルタに感謝している。出会えて本当に良かった物語だと思っているのだ。

 

オルタのすばらしさは、現実という世界をだれにでも分かる形で伝えたことにある。

 

ぼくはそう思う。



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